ジャック・リゴー(1898〜1929)のテクストを本邦初訳の単行本として『自殺総代理店』というタイトルで刊行したのが、2007年11月6日(リゴーの命日)のことでした。以来、陸続と本が売れ続け、数年前から品切れとなってからも、リゴーに興味を持つ読者が後を絶たず、気がつけば古書値が1万円を超える高値となっていました。そのこともあり、読者から再版を望む声が相次いでいたため、このたび14年ぶりに、大量の未訳テクストを追加し、新たな装いのもとに本書を刊行した次第です。
2007年刊の初版は、ごく短い代表的なテクスト8篇とアフォリズムの抜粋、簡略な年譜のみを収録した薄手の精選集でしたが、今回は、リゴーの遺稿をすべて掻き集めて編集したガリマール版『著述集』(Écrits, 1970)を底本に、ほとんどのテクストを訳出、さらに生前のリゴーを知る6人の証言、詳細なリゴーの年譜、多数の関連写真を付し、リゴーの全貌を明らかにしようと試みた決定版です。
初版の約3倍に上る本書のテクストを読まれれば、おそらく初版では分かりにくかったリゴーの実像に肉迫でき、彼が何に賭けていたかが、おのずと見えてくることでしょう。ご承知のように、ダダ・シュルレアリスムには、自殺者が多数出ています。アルチュール・クラヴァン、ジャック・ヴァシェ、ジャック・リゴー、ルネ・クレヴェル、ジャン=ピエール・デュプレーなど…。しかし、リゴーだけは、自殺において突出した異彩を放っています。
アニー・ル・ブランは言います。「20世紀のモデルニテに寄与した惜しむべき知的才能があるとすれば、ジャック・ヴァシェ、アルチュール・クラヴァン、ジャック・リゴーの3人の《自殺者》だが、後者は、たとえ他の二人と同じく《あらゆる(賭けのない)芝居の不毛さ》について還元不可能な感覚を共有しているとしても、特別な位置を占めている。〈中略〉事実、ヴァシェとクラヴァンは自らの寿命を早めることを第一に考えていたようだが、逆にリゴーはその場に留まることを選んだのだ」と。
この言葉どおり、リゴーは、20歳の頃に自殺を標榜しながら、現世に留まり続け、10年後にようやく自殺を遂げたのです。なぜ10年間も生き続けたのでしょうか? ブルトンは『黒いユーモア選集』において、こう書いています。リゴーは「今か今かと10年間、自らの人生を始末する最適の瞬間を待ち焦がれていた。いずれにせよ、それは人の興味を引く人間的実験であり、彼はそれが半ば悲劇的で、半ば滑稽味を帯びることを心得ていたのである」と。
おそらくブルトンのこの言葉は、リゴーの真実の一端を穿っているでしょうが、本書のテクストでは、それだけではとどまらない、リゴーの内面に繰り広げられた凄まじい自己との格闘が展開されています。10年間、絶えざる問いを発し、真実が見えるまで虚偽を剥ぎ取り続けるという、虚偽に対する徹底的な否認と自己意識の明晰さに対する執念に、読む者はリゴーの異様な実像を垣間見ることでしょう。
最後にジャック・リゴーをあまり知らない読者のために、本書カバー袖に掲載した彼のプロフィールを下記に紹介しておきます。