2003年1月20日
エドガー・ソールタスの復活
There is nothing so beautiful as a beautiful crime.
― Edgar Saltus
エドガー・ソールタスの素敵な短篇集『紫と美女』が、ついに邦訳を得て、その短篇を一冊ごとに順次刊行の運びとなりまし た。1903年、ニューヨークで初版が刊行されてから、ちょうど百年、この極東の島国の古き都から、久方ぶりに日の目を見た わけです。エドガー・ソールタスは、今や完全に忘却された作家として、その存在を知る人はほとんどいないでしょう。当時 のピューリタニズムに凝り固まったアメリカ社会において、偽善的因習なるものを徹底的に皮肉った彼が、異端視され抹殺さ れたことは容易に頷けることです。
1855 年、ニューヨークに生まれたソールタスは、若い時期にパリ、ハイデルベルク、ロンドンなどで学び、世紀末ヨーロッパ の頽唐的風潮を一身に浴びて、帰米します。なかでも、ロンドンで先輩作家のオスカー・ワイルドに出会ったことは、その後 の彼の作風に大きな影響を及ぼしました。また彼は、当時アメリカではほとんど知られていなかったフランスの悪魔主義作家 バルベー・ドールヴィリーの小説を、いちはやく英訳してアメリカに紹介したことでも知られています。いわば、バルベーとワ イルドが彼の偉大な文学的先達であったわけです。
しかし、ソールタスが活躍した19世紀末から、20世紀初頭におけるアメリカは、一国を為しているとはいえ、毎年数百万にの ぼる移民が流入し、夥しい労働市場を提供する圧倒的な工業生産社会として殺伐たる気風に満ち、それを糊塗するように、 狭隘なピューリタニズムで監視される社会でもありました。およそ芸術とは縁のない不毛の大地だったといえるでしょう。そん ななか、彼はヨーロッパ世紀末の洗練された感性とデカダンスの風潮を、当時ほとんど唯一、北米大陸に持ち込んだ作家 であったわけですが、所詮、まともに評価されることはありませんでした。 彼の小説によく出てくる、自由奔放な美女、男女間の極端な情熱恋愛と過剰なロマンティシズム、そしてそれに絡む罪とワ イルドばりのアイロニーは、大衆の道徳的反感を買うのに十分でした。

生涯に小説本18冊、歴史・評論・随筆等15冊、バルベーやメリメの翻訳書3冊、詩集1冊など、各方面にわたって著書を発 表しましたが、いずれも忘却され、わずかに代表作と目される、デカダンと汚辱にまみれた古代ローマ皇帝列伝『皇帝の緋 衣』が、後年、ヘンリー・ミラーの愛読書百冊に挙げられたのが、唯一知られることになった事跡であると申せましょう。

彼は、 1921年、三人目の妻マリーに看取られながら、孤独のうちに亡くなります。アメリカ社会から孤立した伝説的存在とし て、彼への再評価の気運は、彼の死の直後、わずかに高まりました。それはアメリカ社会がようやく落ち着き、いわゆる黄金 の1920年代が幕開けた矢先のことでした。(急激な変化を遂げていた当時のアメリカ社会は、10年の差でさえ、大きな時代 差があった)。アメリカ20年代を代表する作家、カール・ヴァン・ヴェクテンが、彼にオマージュを捧げるエッセイを発表します。 ソールタスの後輩格といえるヨーロッパ的感性の作家、ジェームズ・ハネカーが、彼をモデルとして小説を書きます。そして、 才媛の妻マリーが、彼の若書きの詩篇を編集し、自分の詩篇と併せて『罌粟とマンドラゴラ』と題した詩集を刊行、その献辞 には、彼が畏敬した、バルベー・ドールヴィリーに捧ぐと銘記されました。さらに彼女は、謎の多い伝説的存在であった夫の 伝記を多数の写真入りで発表、その異端的な生涯と人となりを紹介しました。そうした数々の紹介に合わせて、シカゴの名 出版社Pascal Covici が、1925年、ソールタスのエキスが凝縮された短篇集『紫と美女』を美しい絵カバー本として再版した のです。序文は、英国の作家、W・L・ジョージが書きました。1912年にロンドンで刊行されたこの作家の小説『薔薇の寝台』 に序文を寄せたのが、ソールタスだったのです。いわば、序文のお返しであり、作家間の友情と尊敬の賜物でありました。

しかし、再評価の気運もそれどまりでした。以後、1968年にAMSから、初版の復刻本が刊行されるまで、彼の出版物はほぼ 皆無に近く、ごく少数の好事家のみに愛されてきたにすぎず、それは今日でも事情は変わっていません。

 このたび当社から刊行しました『アルマ・アドラタ』『太陽王女』『サロンの錬金術』の3篇は、短篇集『紫と美女』全9篇に収 録された逸品です。原題はPurple & Fine Women といい、邦題をあえて「紫と美女」と置き換えましたが、実際は、「誇り高い 綺麗な女たち」とか、「絢爛たる素敵な女たち」という意味合いがあり、おそらくソールタスは、私淑していたバルベーの『魔性 の女たち』から着想を得たのではないかと思われます。 しかし実際の内容は、バルベーの基本思想と通底しているものの、その作風の重厚さとはまったく趣を異にしており、軽快で 奢美、お洒落で皮肉たっぷりな味づけが施されています。小説の舞台は、〈Mauve Decede〉藤紫色の時代、つまり、1890年 代の貴族主義最後の時代の輝きを背景に美女が登場し、パリ、ニューヨーク、ビアリッツ、オーストリアと短篇ごとに場所を変 え、まるで往年のお洒落なサイレント映画を見るかのような物語に読者を引き込みます。 あまり解説すると、読者の楽しみが半減しますのでこのくらいにしておきますが、その作風の〈軽さ〉故にB級小説といっても よく、読者の皆様も、その軽みを面白く楽しんでいただければと願っています。

そうした軽くて奢美なソールタスの作風は、装画を飾るのにうってつけであり、すぐに思い浮かんだのが宇野亜喜良先生の 画風でした。これはぴったりだと思い、多忙な宇野先生に無理なお願いをしましたところ、快諾していただき、素晴らしい装 画を頂戴することとなりました。宇野先生は、ソールタスの作風にぴったりな装画を描かれ、しかも表紙デザインまで施して いただき、その柔軟な感性と卓越した才能に、あらためてプロフェッショナルの凄みを痛感させられた次第です。 そしてまた、造本においては、かねてより瀟洒な本作りで著名なアトリエ空中線の間奈美子さんに担当していただきました。 細い透明な帯や、装画入栞の貼付など、紙質から細かな部分まで、彼女の繊細な神経とセンスによって、洗練味あふれる 美しい本ができあがりました。泉下のソールタス御本人も多分喜んでいるのではないかと思うほど、良いものができ、版元と しても、大変光栄なことと喜びと感謝でいっぱいです。

エディション・イレーヌは、京都最古の花街、上七軒の近くにあるごく小さな出版社です。長らく休業しておりましたが、この 2003年、エドガー・ソールタスの短篇叢書の刊行を皮切りに、才能豊かな造本家、アトリエ空中線の間奈美子さんとタイアッ プしながら、埋もれた逸品を瀟洒な美装本に閉じ込めて、微力ながらも次々と刊行してまいりたいと思います。 また、ソールタス短篇叢書の残り四巻も、カバーの色をすべて変え、全七巻が出揃った時点で、虹色叢書の趣向となります よう、順次刊行してまいりたいと存じますので、読者の皆様の御支援をお願いしまして、イレーヌの新刊のあいさつとさせて いただきます。
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