2011年5月10日
屋上庭園、ついに刊行!
当社が1988年に刊行した文芸誌「るさんちまん」3号から実に23年…。 この間、時代は大きく変わりました。「屋上庭園」編者のあとがきにありますように、平成という時代に入り、インターネットや携帯電話なるものが登場し、人間関係の在り方や人間の営む生活自体が激変しつつあります。そしてまた、高度な電子技術と情報化によって、功利・効率を最善とする経済至上主義が加速化し、地球規模で富の争奪戦が繰り広げられ、人間はその枠内に囚われて、一層蝕まれているのが現状です。
20世紀前半までの、真の意味で豊かな時代の空気を呼吸していた戦中派の最後の世代が死に絶えていく昨今、この砂漠のような殺伐たる現代において、17、18世紀〜20世紀前半にかけて最高度に築き上げられた貴重な言語芸術の伝統が途絶えつつあります。
本書は、偉大な先人が死に絶えてしまった砂漠の世に、豊穣な過去の世から言語芸術の花を摘んできて、絢爛たる屋上庭園を現出せしめ、文芸の伝達に関わって後世への橋渡しに一役でも買えばと願い、刊行したものです。  
従って、本書を末長く保存していただきたいという願いを込め、雑誌という形式を廃し、ムック本形態の単行本として刊行した次第です。
本書の帯の裏面に「不幸にも21世紀という時代に生きなければならない私たち。もはや過去の世の産物にしか、美を感ずることができなくなっているのは、おそらく私だけではないだろう。」とあります。もはや多くを語る必要はないでしょう。詳しくは、10数ページに及ぶ編者あとがきをお読みいただきたく思います。
言語芸術の伝達の中断は、人類の文明のうえでの恐るべき損失です。シュルレアリスムをはじめ、西欧の前衛芸術は、重苦しい文化伝統の消化の上に成り立っていました。そしてその消化・蓄積によって、叛逆・反骨の精神・知性が培われたのです。自国の文化伝統と断絶した現代、何もない砂漠の世には、反動の起こりようもありません。その意味でも、ぜひ若い読者に、過去の世の豊穣・馥郁たる芸術の花園に目を向けてほしいと願う次第です。最後に、「屋上庭園」冒頭に掲げた三島由紀夫の言葉を紹介しておきます。
  情念は涸れ、強靭なリアリズムは地を払い、詩の深化は顧みられない。……
  何かが絶たれている。豊かな音色が溢れないのは、どこかで断弦の時があったからだ。
「屋上庭園」には、三島由紀夫、生田耕作、中村真一郎といった戦中派の三人の「精神の貴族」の遺言ともいうべき文章を掲載しましたので、ぜひお読みください。
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