2019年5月1日
待望のジョイス・マンスール詩集刊行
《奇怪な令嬢》、《エジプトの妖精》と呼ばれた、シュルレアリスムを代表する美貌の女性詩人、ジョイス・マンスール。良家の子女として生まれた彼女は、周囲の誰が見ても、エレガントで朗らかで健康で美しい普通の若い女性でした。その彼女が、突如、次のような詩を数十篇も書いて発表したとしたら、周囲はどう思うでしょう?
あなたは乱れた私たちのベッドで横になるのが好きだ。
古くから染みついた私たちの汗は あなたを飽きさせはしない。
私たちのシーツは 忘れられた夢に汚される
うす暗い部屋にこだまする私たちの叫び
このすべてがあなたの飢えた肉体を興奮させる。
……
これは1953年にパリで刊行された処女詩集『叫び』の1篇です。当時、彼女は25歳。続いて2年後、詩集『裂け目』を矢継ぎ早に発表します。その1篇の一部をこっそり紹介すると…。
……
私はあなたと乳房を向かい合わせて眠りたい
張りつめ 汗ばみ
千もの痙攣に輝き
狂おしくも緩慢な陶酔に消耗し
あなたの影に引き裂かれ
あなたの舌に打ちのめされ
兎の腐った歯の間で
死ぬ幸福。
そろいもそろって、こういった詩が二つの詩集に各百篇前後収録されているのです。繰り返される狂おしい愛と死、凄まじい肉欲と倒錯した幻覚……。発表された1950年代といえば、現代とは事情がまったく異なり、いくらパリとはいえ、まだ女性の肌の露出でさえ、過敏な風潮が強く、そうした社会環境を推し測れば、この詩集がいかに破天荒であったかが察せられます。当然、彼女が住んでいたカイロの文壇から、大きな不満の声が上がります。何一つ暗い翳のない明朗快活な良家の女性が、何ゆえにこのように暗くて淫靡でグロテスクな詩を書かねばならないのか、さすがにスキャンダルまでには至らなかったものの、謎が噂を呼び、一大センセーションを巻き起こします。彼女の父親も仰天、夫のサミールは、私生活での陽気で健康な彼女と、書くものとの完全な乖離に驚き、彼女の作品は彼女の人格とはまったく無関係だと断じざるを得ませんでした。(当時の日本なら、告訴され即座に発禁処分、彼女は厳しい社会的制裁を受けたことでしょう)。
鴨川風流展DM、1989年5月
しかし、さすがに当時のパリです。『叫び』が刊行されるや、ジョルジュ・エナン、A・P・ド・マンディアルグ、アラン・ボスケといった目利きがいち早く評価し、彼女の詩を読んだアンドレ・ブルトンは、即座に彼女に絶讃の手紙を書き送ります。その半年後の1954年5月、シュルレアリスム機関誌「メディウム」第3号(表紙画/スワンベリ)で、ジャン=ルイ・ベドゥアンは、「ジョイス・マンスール」と題して、『叫び』を1954年の最も重要な詩の事件と位置づけ、本格的なオマージュを女性詩人に捧げます。その主要部分を次に引用しておきましょう。
《この25歳の無名女性の詩は、[…]我々にまで届くセレネの稀有な頌歌の偉大なる野生、〈子殺し〉や夜の神聖なる流血、バッカス神の淫女、オルフェウスの敵に向けた魔術的な祈祷を喚起させる。ここには、存在の最も暗い深みからほとばしらないものは何もなく、愛と死、苦悶と欲望、快楽と苦痛が、もっぱら身を苛む現実に溶け合わされ、渇望の対象を通して自らを苛むのである。[…]ピンナップ・ガールやカバー・ガールが跋扈する時代、真の人間的欲求が看過される時代において、こうして愛が、飢餓のように、悲劇的で生死に関わる体験であること、そして、女性として、暴力や残虐行為になり得る恐ろしい人間性を含んでいることを、一人の女性が喚起しているのは、極めて本質的なことである…》。
そうしたなか、翌1955年末、エジプトの政変により、パリに亡命したジョイス・マンスールは、華々しく、熱狂的にシュルレアリスム・グループに迎え入れられます。そしてアンドレ・ブルトンの導きにより、1956年にハンス・ベルメール挿画の散文作品『ジュール・セザール』、1958年にスワンベリ挿画の短篇集『充ち足りた死者たち』、1960年にジャン・ブノワ表紙画の第三詩集『猛禽』、1965年にピエール・アレシンスキー挿画の第四詩集『白い方形』と、その才能を一層開花させていきます。
以上、彼女のことは本書の解説に譲るとして、この女性詩人は、わが国では、エジプトからやってきた美貌のシュルレアリストとして名前こそ知られているものの、その生い立ちや生涯はほとんど紹介されてきていません。これまでの訳書としては、単行本では、『充ち足りた死者たち』(巖谷國士訳、1972年、薔薇十字社刊)、『有害な物語』(有田忠郎訳、1984年、白水社刊)の2冊のみで、いずれも小説本であり、詩篇としては、わずかに限定130部特装本『女十態』(生田耕作訳、1991年、サバト館刊)に10篇訳出された他には、過去に数冊刊行されたシュルレアリスム詩人の訳詩集、いわゆるアンソロジーに数篇程度訳出されたに過ぎず、いずれも、彼女の作品の全貌や生涯もまだ詳らかにされていない状況でした。
マン・レイ撮影 ジョイス・マンスール
その意味で、このたび刊行した本書は、代表詩集『叫び』、『裂け目』、『猛禽』、『白い方形』から172篇を精選、本格的な詩の紹介を果たすとともに、その生涯についても詳述した画期的なものです。加えて、現代日本を代表する女性画家の一人、山下陽子さんのきめ細かな素晴らしい挿画を得たことは、これまで男性画家しかジョイス・マンスールの作品に挿画を描いてこなかっただけに、世界で初めて女性画家が挿画を担当するという快挙となっています。
このたび、出版記念展として、「山下陽子新作展」が東京・恵比寿のGalerie LIBRAIRIE6で5月11日(土)から26日(日)まで開催され、会場では、新刊を先行販売いたします。(主要書店では5月下旬頃に販売)。その会期中、訳者によるギャラリートークが開催されますので、ぜひご予約・ご来場くださいませ。
新刊出版記念トークのご案内「ジョイス・マンスールの人と生涯──シュルレアリスムを代表する美貌の女性詩人のすべて」松本完治
           とき: 2019年5月18日(土) 17:00〜
           定員30名(先着順・予約制)、料金1,000円
           会場(予約先): LIBRAIRIE6・シス書店 (TEL: 03-6452-3345)
           東京都渋谷区恵比寿南1-12-2 南ビル3F
破壊的なエロティシズムの詩人、常連メンバーとしての女性シュルレアリスト、未開芸術のオブジェ蒐集家、貞淑な妻にして母、パリ上流社交界の美貌の貴婦人……多くの顔を持つジョイス・マンスール。彼女はいったい何者なのか。ブルトンやマンディアルグとの関係をはじめ、彼女を取り巻く多数の画家たち…など、彼女のすべてを語ります。
新刊の壮麗な背表紙
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