1924年、アンドレ・ブルトン「シュルレアリスム宣言」が発表されてから100年の節目を迎えます。本国フランスでは、すでに様々な記念イベントが開催され、9月にはポンピドゥーセンターで大規模な催しが予定されていると聞いています。
しかし、イベントが目白押しでも、本当に「シュルレアリスム宣言」にみなぎる叛逆精神が訴えられているのか、非常に危惧する今日この頃です。この100年間、特にブルトン没後、シュルレアリスムという言葉が、いかに曲解され、商業主義や芸術活動に利用され、アカデミズムに骨抜きにされてきたでしょうか。文学史、芸術史の枠内で古典の域に押し込めるような催し、あるいはおよそシュルレアリスムとは無縁な現代アーティストの作品もひっくるめて、宣言100年と銘打つ催しなど、何でもありの骨抜きイベントは、ブルトンが最も嫌悪した商業主義優先によるシュルレアリスムの商標化的行為と言えるでしょう。こうしてますますシュルレアリスムは無毒化していくわけです。
そもそも、シュルレアリスムは、第一次世界大戦という、理性と道徳という名のもとに不条理と虐殺と恐怖を生み出したこの文明に対して、受け入れがたい人間の条件への反抗として、もはや意味を持たない世界に意味を再び与えようとした、若者たちの狂おしい試みから始まったものです。それはこの世界で人間が生存する上で、絶望と紙一重の希望への狂おしい《賭け》と言えばよいでしょうか。その精神姿勢こそが、それ以降の詩、芸術、生活態度、生き方にまで大きな影響を及ぼしたと言ってよいでしょう。
「シュルレアリスム宣言」はその意味で、まさに生きる姿勢を問うた書と言えるでしょう。同じ1924年に生まれ、同書を翻訳紹介した仏文学者・生田耕作は、シュルレアリスムとは《生き方》であると明言したものでした。100年経った現在の状況は、ブルトンが生きた時代より、はるかに圧倒的な物量と技術で、人間の精神や思考を飼い馴らして家畜化していくという、恐ろしいほど絶望的な時代と言っても過言ではありません。
今こそ、宣言の原点に立ち戻ること、そして現代にますます必要性が増す、その真価と今日的意義に係るトークイベントを、東京・神楽坂にある素敵な古書店 「アルスクモノイ」 にて開催いたします。
なお、会場では、 「シュルレアリスム宣言100年」 記念出版2冊を先行販売 いたします。